現在の境内付近は夜も明るくなるほど輝き付近の村人を恐れさせていたと言われ、応永13年(1423年)正月に、越後国から常陸国の守護大名佐竹義仁に招かれ、通りかかった能勝阿闍梨がこれをあやしく思い、二十一日間の護摩を修すると、ある夜、夢に円仁(平安時代初期の天台宗の僧、最澄の弟子)があらわれ、自身が心をこめて刻んだ不動尊がこの地に埋まっているとのお告げから、早速、金杉の村人の協力を得てその場所を掘ると円仁作を記した木造があらわれ、その掘った跡から水が湧き出し、滝となったという。 そのことがきっかけとなり、御滝信仰が起こり、小堂をたて木像が安置され、金蔵を置いたことから金蔵寺と呼ばれるようになったとされる。 一方、寺に残されている社伝では、金蔵寺は江戸時代以前は現在の位置にあったが、江戸時代になると社寺の敷地が江戸幕府直轄の小金牧の範囲になったため移転し、明治時代になって、牧馬がなくなったことから元の敷地に戻ったとされていることから、両者の話を比べてみても不動尊の成立は江戸時代から二百年ほど前と推測される。
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